columnの最近のブログ記事

友廣です。

「風の便り」の中でもお知らせしていた
『ムラアカリをゆく旅 in富山』ですが
無事に定員の10名が集まり満員御礼となりました。

この旅では本当に素晴らしい出会い、経験、学びの機会をいただいたので
今度はそれをいろんな人に伝えて・共有していきたい!
という思いから、ツアーを企画していくことにしました。

今回はその記念すべき第一弾というわけですが、
おかげさまで幸先のよいスタートが切れそうです!

参加してくださったメンバーも
現役東大生、農業従事者、幼稚園先生、コンサルタント、官僚、
起業家、商社、ロボットメーカー、食のスペシャリスト、放浪者(苦笑)

・・・と幅広く、それぞれの立場からの視点を大切にしつつ
それらをシェアしていくことで深くて面白い学びの場をつくりたいと思っています。

よい時間を過ごしてもらえるようがんばります!
第二弾以降も企画していく予定ですので
また完成したら(できるだけ早く)お知らせいたしますね。

よろしくお願いします!


+ + + + + + + +


さて、前回の「地域活性化」についてですが
夜中に睡魔と闘いながら書いたので
改めて読み直してみると分かりづらいですね・・・

うーん。

ペリーのくだり、比喩として分かりやすいと思ったのですが
ちゃんと伝わったかなと不安になりました。

要は、相手側の立場にたって
その心境を共有できるかどうかが大事なんじゃないか、と。
それが言いたかっただけです。


仮にお年寄りと接したことがない官僚が
高齢者福祉の施策を打ち出すとする。
すごく理詰めでうまく練られていたとしても
それではなんだかうまくいかなさそうじゃないですか?

たぶん、「数字」を良くはできそうな気がしますが
それ以上にもっていくのは難しいんじゃないかと。

作る側に立つといけそうな気がするんですが、
受ける側の立場でイメージしてみると
そんな簡単に伝わらないよって思う。
そんなに簡単に理解されてたまるか、って思いますよね(笑)


たとえば、さっきの高齢者の話で言うと
おじいちゃんを一番幸せにできるのは
どんなに素晴らしい政策よりも一人の「孫」だったりする。

「数字」は動かせなくても、この一人と一人の関係で
人って幸せな生活を実現できたりするものなのかもしれない。

そして個人の自然な生活の中には
「地域活性化」なんていう言葉はない。

田舎を訪ねてみても、地域にいる人たちは
「おれたちの集落よくしたいよね」とか
「子ども達のためにがんばろうよ」とか
「あの人が元気ないからなんとかしようよ」とか
もっともっとシンプルだ。

自分の中に、地域の誰かが入ってきて
なんとかしたいと思って動き出す。


水俣の吉本哲郎さんも何度か、
「その言葉、ばあちゃんも使ってるのか?」って
おっしゃっていた。

本当に地域のことを思って「活性化」するのなら
地域に住み、その地域を育んできた人たちの言葉を
大切にすることも大事なのかもしれない。

みんなが使っている言葉の中には
地域の温度とかリズムがある気がしている。
所詮言葉ではあるけれども、
その人たちの想いは凝縮されているかもしれないから。

そんなことを考えています。

友廣です。

こちらのブログでなにを書こうか...
いろいろと悩んでいたのですが
少しずつ「地域」や「第一次産業」など
この旅で出会ったテーマについて書いていこうと思います。

旅の途中で出会ったこと、感じたこと
そして今現在考えていること・・・

自分の備忘録として書いていきたいと思います。

+ + + + + + + + + + + + 


最近「地域活性化」という言葉に
ひっかかりを感じることがあった。

なんだろう。ちょっとした違和感が残ることが多い。

その理由について
この数週間いろいろ考えていて
先日ふと会話の中で気づいた。


それは、都会の人が都会目線で
「地域活性化」という言葉を使うことに対してだった。


都会のモノサシ、それはつまり主に「経済」を尺度として
「活性化」というものを定義しているということ。

そして都会で「活性化」しようとする
多くの人は「あなたのためです」と言う。
地域のため、集落のため、日本のため・・・と。


でも、
「開国を迫っているのは日本のためです」
と黒船に乗ったペリーが口にした時、
その場に居合わせた日本人はなにを思ったのだろう。


相手側の感覚が抜けている気がするのだ。


ペリーは、心の底から文明の遅れた日本を救いたいと思って
わざわざ命がけで遠くからやってきたのかもしれない。

でも、
もし自分が当時の日本人だったとしたら・・・と想定すると、
そんなこと、とても受け入れられなかっただろう。

だって、見ず知らずの人から「あなたのために」
という言葉を聞いたってしっくり来ないのは当然だろう。


突然やってきた人に今までの日常を否定されて
「お前のためだ」といって変革を求められたら
「あんた何様?」って思うだろうな、と。

土足で畳の上に上がるかのような雑さを感じてしまう。


地域が経済社会に組み込まれている場合、
「ヒト・モノ・カネ」は東京に集まるわけなので
当然、「劣っている」という状況が生まれる。

そこで都会の人は<経済>というモノサシによって
その遅れている部分を埋めてあげましょうって説得する。

それを税収の不足している行政も受け入れるんだけど
果たしてミクロに見た時に"一軒の家族"はどう変わるのか。


「経済」というモノサシの先には幸せな生活があるのか。

多くの場合はそこまで言及されないけど
本当はそこが一番大切なんだと思う。

そしてその幸せな生活を実現するためには
「人」と出会い、「人」を知ることが必要だろう。


その土地で生きる人の声を聞き、
息遣いを感じ、
体温を共有する。

自分の中にそれらを取り込んでいく。


手触り、味、匂い、喜怒哀楽...

外の人は、完全にその地域の人にはなれない。
でも、
自分の中に地域の人を取り入れることはできる。


そこに住む人たちとの関わりの中で
自分の欲求や喜びや悲しみと同じレベルで
自分がなにかやりたいという衝動が生まれる。

誰かの笑顔や苦痛に対して
自分の中でたしかなものが動いた時
本当の「地域活性化」が生まれるのではないかと思うのだ。


一昨日前に、ぼくがお世話になっている
早稲田大学の友成真一先生も言っていた。


「人類は今までたくさんの「仕組み」をつくってきた。
 でも、仕組みによって幸せな人生を実現できたことはない」と。


国際貢献でも、なんでも同じだと思う。

自分の中に「人」が不在の「活性化」はニセモノだと思う。
相手の体温を感じない施しは
世のため人のためという名の偽善になりえる。

どんなにきれいな絵を描いても
どんなに立派なビジネスが生まれて
どんなに経済が回ったとしても

その先に幸せな生活がなければ意味がないし、
そのたしかな触感がないのに絵を描こうというのは
ちょっぴり傲慢なことなんじゃないかと思う。


「地域活性化」という言葉を分解すると
「わたしの○○している街が××で△△な気分だから□□したい」

こんな感じになるのかな。
自分と地域がつながる感じ、それが必要なのかも。


ペリーの場合はそんなことないもんね。きっと。
主体と客体の間に深い溝があっただろうから
自分の価値観を一方的に説得していたのだと思う。


「地域活性化」を外から提案する場合、
往々にしてマクロな指標を持ち出して
分かりやすいフレームに当てはめて説得しようとしてしまう。
でもそこにいるのは個人であり家族である。

だから、逆の立場にいる一個人の視点を忘れてはだめだと思った。

「それ、なんかいやだ」

と自分自身が思うようなことは
他人様にはやらないようにしよう。


長々と「地域活性化」に関する違和感について書いてみました。

読み返してみてなんと偉そうなんだと思ったのですが
これも自分の主観なので敢えて発信してみようと思います。

皆さん、どう思われましたか??


ご無沙汰しております!
友廣です。

一人暮らしの家は引き払ってしまったので(苦笑)
友達の家を辿りながら東京放浪中だったりして
相変わらずバタバタしているのですが・・・

旅を終えてからの所感をすこし書いてみました。
よければご覧いただければ幸いです。


また、明日(8月22日)は
朝日新聞(夕刊)に掲載していただけるようです。
甚だ僭越で恥ずかしい限りですが、
もしよろしければご覧くださいー!

わざわざ写真を撮るために山形まで来てくださったり
深いところまで理解して記事にしようとしてくださった
素敵な記者の浜田さんが書いてくれました。


+ + + + + + + + + + + + 


旅を終えて約10日間、
いろんな人に話をしながら
「この旅はいったいなんだったのか」を考えています。


たしかに
小規模高齢化集落(限界集落)や過疎地はいろいろ訪ねたし
農林漁業、酪農、畜産などの第一次産業の現場も訪ねたし、
現場で汗をかきながら学ばせていたことは大きな経験だった。

これは当初から持っていたテーマだし、
それで括ってしまえば分かりやすいことこの上ない。

「この地域ってこうなんだよ」
「農業ってこんな問題があるんだよ」

って、そうやって客観化して単純化して伝えることもできる。


でも、そうやって話すとき
なんだかすごく違和感が残るんだなぁ。


ぼくが本当に伝えたいのは「地域」ではないのかもしれない、と。

もちろん、地域の文化とか歴史とか食とか自然とか・・・

そういうものにも興味があるし伝えたいと思うけど、
それらはすでに本や情報として巷に溢れている。
それに、そういうことを知ることが目的であったなら
もっと効率のよい旅のスタイルがあったと思うし・・・。


そう考えていくと、
まず旅においてこだわっていたことは「人」との関わりだったことに気づく。

出会いに重きをおきたいと思ったから
人の縁だけを辿っていくというスタイルを取り、
できるだけ普通の家に泊めていただきたいと考えたのだろう。

結果、70軒ほどの家に泊めていただいたことになるが
ここから「地域」という景色が見えたことは少なかった。


ぼくが出会ったのは
一人の人間であり、
一つの家だったのだ。

「ムラアカリをゆく」という旅には
いろんなキーワードのラベルが貼られている。

その場の感覚だけで旅をしたかったので
旅の最中はできるだけ整理しないできた。

だから、自分自身でもどれが重要なラベルか
分からなくなっていたのだけれど
終わって整理をしていくと見えてきた。

一枚ずつ剥がしていったときに残るのは「人間」だな、と。


ぼくの旅は、
「地域」を知る旅ではなく
「生き様」に出会う旅だった。

これが今はしっくり来ている。


ぼくがはじめに出会った「限界集落」と呼ばれる地域で
あたたかくて、やさしくて、うつくしくて、かっこいい・・・
と感じることができたのは、


都会で育ったぼくらが「なにか」によって幸せになろうとするのに対して、

ぼくからすると「なにもない」と思うようなところなのに
外に「なにか」を求めることをしないで
それでいて物心ともに満たされているように感じたからだろう。


旅をしてみて「限界集落」には看板があるわけでもないし
その言葉がなにも表していないことに気づいた。


限界は、決して物理的要因ではない。

それを教えてくれたのは水俣でした。

詳しくは過去の記事を見ていただければ幸いです。

http://www.murakari.com/2009/05/52-3-1.html
http://www.murakari.com/2009/05/54-etc.html
http://www.murakari.com/2009/05/56.html
http://www.murakari.com/2009/05/column.html

振り返るだけで胸が熱くなり
大切なことを思い出すことができます。

水俣についてはまた改めて書こうと思います。


皆さんはどう感じられたでしょうか?


もしブログを読んでくださっていた方
新聞を読んでくださった方などで
なにか感じること・伝えたいことがあったという方は
以下まで連絡をいただけたら幸いです。

yuichi.tomohiro810(@)gmail.com ←かっこを外して@を半角にしてください


なんでもよいので、
感想やコメントをいただけたら喜びます。

どうぞよろしくお願いします!

また続きは書きます。


「水俣は白黒だと思っていた」

吉本さんが出会った人が
そんなことを言ったそうだ。

水俣で聞いたとき
思わず笑っていたけれど、
振り返ってみると水俣の色は灰色だった。

みんな
悲しんでいるか
苦しんでいるか
怒っているか
泣いているか...

そんな印象しか持っていなかった。
だって、教科書でも、テレビでも、
目にするものは全てそうだったから。


水俣に到着してすぐに
吉本さんはタケノコ掘りに連れていってくださった。

竹やぶに入り、
みんなでタケノコ探しに集中した。

帰ったら大きな鍋に火を起こし
アク抜きをしたら
おいしい料理になって食卓にならんだ。

竹やぶを歩き回って自然を感じ、
そして、自然の恵みをいただく喜びを得る。

「まずは"おいしい"から入ることが大事だ」

初日を終えたとき、
水俣のイメージは
鮮やかな黄緑色になっていた。


この経験は大きい。

「言葉は大事だ。
 でも、言葉にした瞬間、言葉から漏れてしまうものがある」

公平な情報なんてないし
すべてを切り取ることなんてできない。

でも、このことを強く認識することは大事だなぁと思う。


ぼくは客観的な水俣を伝えるつもりはない。


濃い灰色の上に重なった黄緑色を――

灰色があるからこそ引き立つ
鮮やかな黄緑色を伝えたい。


水俣を他の地域に当てはめても同じだ。

レンズを曇らせないように
しっかりと磨いていこうと思う。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちcolumnカテゴリに属しているものが含まれています。

次のカテゴリはInfoです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。